Ken Takahashi Architects
「空想 皇居美術館」出版記念展覧会が、月島のタマダプロジェクトで行われています。5/10〜5/16
皇居美術館とは、美術家の彦坂尚嘉氏によって着想され、その後約10年間にわたって展開・変奏されてきた、日本と日本美術に関わる思考の営みの総体とも言えるものです。
今回の出版は、五十嵐太郎/新堀学両氏の協力のもと、これまでの皇居美術館をめぐる言説の軌跡を、一冊の本に凝縮させたものとなっています。
現在皇居におられる天皇家の方々には京都に帰京していただき、空っぽになった場所に超一流と考えられる日本古来の美術品、建築(!)を集め展示するということが、一義的には皇居美術館の役割になります。
諸外国には自国の文化を集積・展示する巨大な美術館があるのに対し、日本にはそうした美術館がないこと、また現代の日本の文化が、近代以前の日本美術に全く関わりなく成立していることを憂う、「憂国」の概念が根本にはあるようです。
もちろん空想のプロジェクトなので、現実味はほとんどありません。しかしこうした仮説を立てることで、いつの間にかタブーになってしまったことに、再度思考を巡らせる契機をつくることはとても重要なことだと思います。
私自身はノンポリで、右も左もないのですが、大した知識もないまま皇居をタブー視していたことを反省しました。
昨日はレセプションパーティーの後、社会学者の若林幹夫氏、竹中工務店の荻原剛氏を招いてのトークイベントもありました。
「皇居は東京の中心ではなく、奥ではなかったのか」という若林幹夫さんの発言がかなり興味深かったので、今度氏の著作を読んでみようと思っています。
会場には地上1000mの巨大なタワー型美術館の模型のほか、収蔵する美術作品に対する彦坂氏によるオマージュ作品やアートワークも展示されており、氏の近作をまとめて見ることができます。
また新堀学氏のアーバン・ヴォイド案、伊豆下田に構想された松田達氏による、より現実性が検討された案なども展示されており、とても楽しめました。
松田達氏のアイディアは1/6円を元にタワー建築を展開していく、メタボリズム的雰囲気のある建築で、今回の展覧会の主旨によく合っていると感じました。無限美術館の一形式にまで高めうる、興味深い提案です。
東京国立近代美術館で開催されている、「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」に行ってきました。
出展者はアトリエ・ワン、伊東豊雄、鈴木了二、内藤廣、中山英之、菊地宏、中村竜治の7名です。(敬称略、順不同)
オープニングにも呼んでいただいたので、今回が二回目です。オープニングにはなんの予備知識もなく行ってしまい、正直やや戸惑いました。今回は午後遅い時間だったこともあって人も少なく、ゆっくりと見ることができました。そのため心なしか、各々の作品に対して理解が深まったような気がします。まあ某媒体に展覧会評を書かなければならなくなったので、そうでないと困るのですが(笑)
カタログもまだ発売されていないので、基本情報が全く不足しています。こんな状況で展覧会評を書くのは本当につらそうです。しかも大御所、新進気鋭の方ばかりなので、どうしたらいいか途方に暮れています。
誰か代わってくれるといいのですが・・・。
ということで今回は写真だけのアップとなります・・・。
展覧会風景はこちら (写真は私が撮ったものです)
国立新美術館で開催されているアーティストファイル2010に行ってきました。去年の齋藤芽生さんや津上みゆきさんも面白かったのですが、今年もかなり考えさせられる作品がありました。とくに興味深かったのは、石田尚志氏の映像作品と斎藤ちさと氏の気泡シリーズです。現代美術に疎い私は、お二人の名前は知ってはいたものの、実作を見るのはどちらも初めてのことでした。
気泡シリーズはご存知の方も多いと思いますが、特殊な水槽で生成された気泡(=アブク)ごしに、さまざまな風景やオブジェを撮影していくという作品です。厳密に整えられた被写界深度で撮影されることにより、普段特別気にすることのなかった気泡に、まるで金属のような質感があることに気付かされます。
それぞれの気泡には、目の前にあるシーンが小さく映っていて、コンピュータ・グラフィックスで用いられる環境情報の映り込みのようです。
瞳に焦点の合ったポートレートを拡大していくと、眼前に拡がる世界が、被写体の眼の中に反射して見えてくることがあります。気泡シリーズでも、当初は反射した世界がそのまま気泡に映っているのかと思っていました。しかし目を凝らしてよく見てみると、どうやらそうではないことが判ります。水槽を通り越した視線の先にある、主画面のなかではほとんどぼやけてしまった対象が、気泡の中でだけ焦点が合っているという不思議な現象が起きています。そしてその小さな像を確認することによって、作者が何を前にしているのかが判るのです。
どうしてこのような現象が起こるのか直ちには解らないのですが(理系失格です・・・。)、ダブルガウスタイプの対称形レンズや、超広角レンズの構成と関係があるのかな?などと勝手に想像していました。というのも、絞りやピントをほとんど変えずに、隅々までピントの合った写真を写すことが出来るホロゴンというレンズは、前後ともほぼ完全な半球状の形をしているからです。(関係なかったら文転します・・・。)
いずれにせよ無数に発生している気泡に、水槽越しにはぼやけた世界がちゃんと結像している様は圧巻です。これらの像は中心から徐々に放射状に変化しているので、厳密に言えば似ているようで全て異なるイメージでもあるのです。それゆえ像を定位するのは作者であり=観察者=私たちであるという思考の運動が起こり始め、べラスケスを前にしているときと同じように、なかなか一つの作品の前から動きがたくなるのです。
「写真を見る」という行為からはなかなか味わえない、不思議な体験でした。
この展覧会は5月5日(水)までです。未見の方は是非!必見です!
あ、石田さんに触れるの忘れた・・・。すみません・・・。こちらも必見!
※画像の掲載許可は頂いております。